人生楽しめよ、俺は1浪2留だ

果たして自堕落大学生は真人間になれるのか

2留確定

2016年3月就職活動が解禁し、毎日エントリーシートを書いて説明会に行き、いよいよ俺も社会人になる時がきたかとしみじみ思っていた

俺は中学、高校と私立の中高一貫進学校で育ちいわゆるエリートコースを進むはずで親もそれに期待していた

しかし親の期待を全力で裏切るかのように、中学生の時に毎年停学になり、3年の時には退学になる一歩手前で生徒指導の教師に君は学校創立以来の問題児だと言われる

もちろん私立の進学校に行っていたにもかかわらず3年間勉強していた記憶などなく、退学するかもしれない時に偏差値50程度の地元の高校の赤本を見てみたがさっぱり訳が分からなかった

しかし、学校側の慈悲でなんとか高校には進学することができた

しかし高校に行ってもそんな生活は変わらず、高校3年の全国河合模試の偏差値は30台という学年でぶっちぎりの馬鹿であった

そんなもんだから、大学など受かるはずもなく適当に大学を一つ受けるが余裕で落ちた

さすがに大学には行かないとまずいと思ったが、授業というものが大嫌いな自分は親に金ももったいないし自宅浪人すると言ってニート生活を満喫した

そして夏頃に受けた河合模試の偏差値が確か42だったかな?

これではまずいと思い、そこから真面目に勉強しなんとか、マーチと呼ばれる中の一つの大学の理系の学部に合格することができた。

理系に進んだのは、小学校の頃算数が得意という理由

大学に合格し、親もこれである程度の大学に受かってくれたと一安心してくれた


しかし大学に進んだものの、実家から大学に2時間かかる。もちろん行かなくなる


まずこれに嫌気がさし、理系にいったものの勉強する気なんてさらさらない

さらに俺は一年の5月から水商売を始めるというトリプルコンボをかまし人生の夏休みと呼ばれる大学生活を謳歌した。

まあ、そんなんだから大学2年の時に留年したが、不真面目な友達も何人か留年してるやつがいたので、1年ぐらい大丈夫だろ。もう1年遊べるぞと言って笑っていた

もちろん少し落ち込んだが、、、、、

そしてそこから5年で卒業するため少し真面目に大学に行き始めたが根本的なところは何も変わなかった


そして大学3年の1月、期末試験を迎え落としたら留年という必修の講義のテストの出来が正直微妙だった

しかし楽観的な自分はまあ大丈夫だろうと思って就活の準備にはいった

リクルートスーツをきて説明会に行く自分を見て、母親はあんたには迷惑散々かけられたけどあんたもいよいよ社会人になるのね。と嬉しそうに笑いながら言ってくれた


それを見て俺は親を安心させるためにもちゃんと就職先きめて卒業しないとなと思った


そして3月の成績発表を迎えた


ドキドキしながらパソコンに学籍番号とパスワードをいれてクリックする


正直大学入試の結果発表の100倍緊張する、、、、、、、


そこに映し出されたのは留年を知らせる無慈悲な文字だった


もちろんショックを受けたが、もしかしたらと思っていたためそこまでダメージはなかった


これからどうしようか、、、、、、

親になんて伝えよう、、、、、


一留仲間の友達に連絡をとったが俺以外はみんな進級していた


とりあえず駄目元で教授に土下座しに行ったがもちろんどうにもならなかった


帰り道に大学の思い出が走馬灯のように流れてきて涙が溢れそうになった。留年仲間でみんな一緒に卒業してラスベガス行こうと約束したこと、大学の講義サボってパチンコにいったこと、喫煙所で馬鹿話したこと、友達がマルチ商法にハマって全力で止めたこと、思い出せばキリがないくらいこのキャンパスには思い出があった

俺が4年生になった時にはみんな卒業して俺1人で大学通うのか、、、、、、


俺卒業する時1人なんだな、、、、、、、


そう考えると本気で孤独を感じて泣きそうになり、今更になって後悔が波のように押し寄せてきた


家に帰る気にもなれずそのまま中学、高校時代の友人と飲みに行き朝方帰宅した



これから学費も稼がないとな、、、、、、、、、、、





人生なんとかするしかねえな




2留を将来笑い話にできるかどうかは俺次第